今回は長嶋シゲさんについて紹介していきたいと思います。
いつの時代にあってもその時代に即したヒーローって存在しますよね。最近では「令和の怪物・佐々木朗希」さんや
「平成の怪物・松坂大輔」さん、そしてオールドファンなら一度は胸ときめいた「Mr.ジャイアンツ・長嶋茂雄」さんと主にアスリート系の人が多いようですね。
佐々木朗希さんは現役のプロ野球選手として史上最年少で完全試合を成し遂げたことで一気に名前が知れ渡りましたよね。
また松坂大輔さんは現在タレントとしてメディア露出が多くなりましたが、その一方で長嶋茂雄さんをお見かけする機会が減ってしまいました。
なので長嶋茂雄さんは現在何をしていてどんな姿をなのかふと考えたことはありませんか?
今回はそんな長嶋茂雄さんの現在の姿から、人生の大きな分岐点となった脳梗塞になった原因やリハビリに励む姿、国民栄誉賞受賞を記念した始球式の様子をご紹介しましょう。
また2021年に行われた東京オリンピックでの聖火ランナーを務めた姿や、現役時代の名言珍言からみなさんの知らない長嶋茂雄さんの家族についてなど、長嶋茂雄さんが脳梗塞を発症する前後についてご紹介してみようと思います。
長嶋茂雄の現在の姿はこれ!最新情報を紹介!
こちらでは長嶋茂雄さんの現在の姿、最新情報について紹介いたします。
まずは長嶋茂雄さんが脳梗塞を発症し、回復した後の現在の姿について紹介していきたいと思います。
長嶋茂雄さんは脳梗塞で闘病生活に入った後、2021年11月3日にプロ野球界では初となる文化勲章を受賞したことを称え、2022年3月25日の開幕戦で記念セレモニーが行われました。
こちらが長嶋茂雄さんの現在の最新の姿となります。
そんな長嶋茂雄さんは現在も都内でも一等地の田園調布にあるご自宅で余生を過ごしながら、ある日突然皆さんの前に元気な姿を見せるプランを練っている最中かもしれませんね。
また長嶋茂雄さんは現在ではプロ野球「読売ジャイアンツ」の終身名誉監督という職に就いています。
2〜3年ほど前までは節目節目に現場に顔を出して選手を鼓舞していましたが、現在はあまりその姿も見かけなくなりました。
やはり長嶋茂雄さんはその存在だけで周囲を元気にさせる不思議なパワー、雰囲気等の「何か」を持った人なんでしょうね。それを考えると元気な長嶋茂雄さんの姿があまり見られないのはちょっと寂しいですよね。
次に長嶋茂雄さんが脳梗塞を発症した原因や、リハビリをするに至った経緯などをご紹介していきましょう。
長嶋茂雄の脳梗塞のリハビリについて エピソードを紹介
2004年3月、1本のニュースに日本中が震撼しました。「長嶋茂雄、脳梗塞で倒れる」誰もが我が目を疑う見出しが新聞、テレビなどで報道され熱烈なファンをはじめ長嶋茂雄さんを知る人は刻一刻と報道される内容に釘付けとなりました。
あれから18年の年月を経た今、改めてその経緯を見直し今日に至るまでの長嶋茂雄さんのエピソードを振り返ってみましょう。
長嶋茂雄が脳梗塞になった経緯
2004年3月4日早朝、長嶋茂雄さんの身体に異変が起こり東京女子医大病院へ搬送されました。しかし今でも謎として語られているのが、「golden time」と言われる脳梗塞などが発症した際の初期処置までの時間です。通常発症後3時間以内の処置が事後の分かれ目と言われていますが、その3時間を遥かに越えていたことです。その時長嶋茂雄さんは自宅にいたのか?などの憶測が飛び交いました。
詳しい病状に関しての説明はこうでした。長嶋茂雄さんの場合、脳梗塞の中でも心原性脳塞栓症というものだそうです。これは心臓でできた血の塊である血栓が脳に達し、脳の血管を塞いでしまうものです。そこで注目されるのが「3時間」というキーワードです。発症から3時間以内の処置であれば詰まった血管内から血栓を取り除いてやれば血流の再開が望めるそうです。
しかし3時間を越えると様々な処置を要することになり、社会復帰までに時間を要することになるようです。
では長嶋茂雄さんが脳梗塞になった直接な原因は何だったんでしょう、色々と調べた結果一般的に高血圧や心疾患などの基礎疾患を持つ人がやりやすいと言われています。後日長嶋茂雄さん本人も言われていましたが、基本的な原因は「ストレス過多」のようです。長嶋茂雄さんはその輝かしい活躍から当時はアテネオリンピック野球チームの監督の重責を任されるなど、心身ともにストレスを
抱えていた時期とも合致します。皆さんも適度なストレス発散は大切ですよ。
始球式について
2013年5月5日に長嶋茂雄さんと巨人、ニューヨーク・ヤンキースで活躍した愛弟子の松井秀喜さんの国民栄誉賞授与式が東京ドームで巨人対広島戦の試合前に行われました。
この日故・安倍晋三首相(当時)から表彰状、盾、黄金のバットが贈られセレモニーの終盤、長嶋茂雄さんが受賞の挨拶を行いましたが、これは2004年に脳梗塞で倒れて以来初めて発する肉声ということに注目が集まりました。
そして記念の始球式が執り行われます。
長嶋茂雄さんは背番号3のユニフォームを上半身にまとい「4番サード・長嶋茂雄・背番号3」のコールを受けバッターボックスへ入りますが、もちろん麻痺が残った右手は使わず左手のみで構えます。
ピッチャーには背番号55のユニフォーム上下を着た松井秀喜さん、受けるキャッチャーは当時巨人を指揮し長嶋茂雄さんを師と仰ぐ原辰徳監督。
更に審判役を背番号96のユニフォームを上半身に纏った故・安倍晋三首相が行います。(※96の由来は第96代内閣総理大臣から来たものです)
いよいよ記念すべき始球式です、マウンドに立つ松井秀喜さんがスコアボードに深く一礼し、内角高めに山なりのボールを投げます。すると長嶋茂雄さんは全力でスイング
しますがあえなく空振り、このボールを半ば逃げ腰に原辰徳監督がキャッチした後、故・安倍晋三首相がストライクのポーズで見事に記念の始球式は終了しました。
この時ばかりは球場は一体となり長嶋茂雄さんと松井秀喜さんへ惜しみない声援と拍手、温かい時間が流れていましたね。
オリンピック開会式
2021年7月23日、コロナ渦の影響で1年延期となった東京オリンピックに日本を代表する野球選手OBが帰ってきました。長嶋茂雄さん、王貞治さん、松井秀喜さんの
3人が開会式が行われた新国立競技場のフィールドで聖火ランナーとして姿を現しました。
元レスリングの金メダリスト吉田沙保里さんと元柔道金メダリスト野村忠宏さんから聖火を引き継いだのは午後11時41分、この光景に多くの人が涙しました。
日本国内はもちろんのことアメリカをはじめスペインでも、日本のレジェンドである長嶋茂雄さんにフォーカスしこの姿を広く伝えたそうです。
何故か?言わずもがな本来なら2004年のアテネオリンピック野球チームの監督としてフィールドに立っていたはずの人が病に倒れたが、見事な復活を遂げたことなど個人的な背景を説明しています。
これに呼応するかのように長嶋茂雄さんは「リオデジャネイロオリンピックでの聖火ランナーとしてもリストアップされていた」ことを明かしています。
現在の長嶋茂雄さんは脳梗塞の病後ということですが、1974年10月14日に現役生活を退くまでは日本プロ野球を代表する選手の一人でした。多分この頃の長嶋茂雄さんの勇姿を実際に
見たことがある人はそういないでしょう。次に現役時代の長嶋茂雄さんのエピソードをご紹介していきましょう。
長嶋茂雄の印象に残るプレイシーン
長嶋茂雄さんが脳梗塞を発症するはるか昔、現役時代の長嶋茂雄さんのプレイは華やかさ一色で、もちろんその一挙手一投足まで見るものを釘付けにするものばかりでした。
一説にはゴロ捕球の際にはスタートをちょと遅らせてダイビングキャッチをするなんて事もしていたそうで、とにかくショーマンシップに溢れた野球選手でした。
そんな長嶋茂雄さんの印象的なプレイや名言珍言をいくつかご紹介しましょう。
- 入団1年目から3番サードで出場し、故・金田正一さんから4打席4三振を喫する
- 1959年6月25日「天覧試合」で阪神の故・村山実からサヨナラホームランを放つ
- わざとサイズの大きなヘルメットを被り三振した際にヘルメットが飛ぶようにしていた
- 日本語と英語をごちゃまぜにしてコメントする 「失敗は成功のマザー」「鯖は魚へんにブルー」
- 選手に対する指導はほとんどが擬音 「ビュッ」「シャッ」「パーン」
- 還暦祝いの取材で、「初めて還暦を迎えまして」
天然な人なのか意図的にやっている人なのか皆さんはどちらだと思われますか?総じて長嶋茂雄さんという人物は明るく天真爛漫な人であることは間違いないでしょう。
では次に長嶋茂雄さんの家族について触れてみましょう。一家の長が脳梗塞を患う前と後で家族に何か変化はあったのでしょうか
長嶋茂雄の家族について 子供との関係はどうなの?
長嶋茂雄さんの家族については断片的には紹介されていますが、ここでは家族についてのおさらいと知られざる部分を紹介していきましょう。
家族構成
長嶋茂雄さんのご家族は妻・2男2女の6人家族です、それぞれに簡単にご紹介しましょう。※年齢は2022年8月現在
妻 :長嶋 亜希子(ながしま あきこ) 1943年1月5日生(2007年没) 1964年東京オリンピックコンパニオンとして活動中、取材に訪れた長嶋茂雄さんと出会い交際期間4ヶ月で結婚。
長男:長嶋 一茂(ながしま かずしげ) 1966年1月26日生(56歳) タレントとしてバラエティで活動中。幼少期長嶋茂雄さんと神宮球場へ行き、置き去りにされた話は有名。
長女:長嶋 有希(ながしま ゆうき) 1967年 長嶋茂雄さんの商標登録等を管理する株式会社オフィスエヌの役員として活動していましたが、2010年解任されています。
次女:長嶋 三奈(ながしま みな) 1968年6月8日(54歳) 「熱闘甲子園」などテレビ朝日のスポーツキャスターとして活動していましたが、現在はフリーとして活動中。
次男:長嶋 正興(ながしま まさおき) 1970年9月26日(51歳) 大学生時代の1992年からレーシングドライバーとして活躍、現在は環境管理士資格を取得し、環境関係の仕事に従事。
子供との関係
長嶋茂雄さんと子供たちの関係性は非常に希薄なようです。一見4人の子供がいて孫がいて良いおじいちゃんとして余生を過ごしているような印象を受けますが現実は厳しいようですね。
まず兄弟同士に繋がりがないようで、長男の一茂さんでさえ次男の正興さんの所在も知らないそうです。現状長嶋茂雄さんの元にいるのは次女の三奈さんのみのようで、
長嶋茂雄さんの身の回りのお世話をしているそうです。
長嶋茂雄さんの子供同士の仲も冷めたもののようで、長男の一茂さんに及んでは遺産放棄をしていて「3人で分ければいいじゃないか」などと言い出す始末。
しかし一説には一茂さんが長嶋茂雄さんが脳梗塞で倒れた後に、長嶋茂雄さんの歴史とも言える貴重な品々を誰に相談するわけでもなく勝手に売却したことが
兄弟が不仲になった原因だとも言われています。
さてここまで長嶋茂雄さんが脳梗塞で療養生活に入った原因や、それを取り巻く家族のことなどをご紹介してきました。
では最後に脳梗塞が原因で思い通りの活動が出来ない長嶋茂雄さんの今後について予想してみましょう。
長嶋茂雄の今後の活動について予想してみた
それでは脳梗塞の後遺症というハンディキャップを持った長嶋茂雄さんの今後について予想してみました。
2021年12月に放送されたTBS「ニュース23」でインタビュー役の高橋尚子さんに今後の目標や夢を語っています。
野球でもね、あるいは他のスポーツにしろ、いい方向に持っていけるように。何かそういう機会があればいい方向に関われるようにしていきたい。
引用:スポニチアネックス
かつて「燃える男」と言われた長嶋茂雄さん、肉体は衰えても心の中は今でも前向きかつ燃えているようですね。今後メディアへの露出は少なくなる一方かも
しれませんが、裏方として現場を支えるスーパーバイザー的な活動をして現役世代の心の支えとなっていかれることでしょう。
今回は昭和世代のスーパーヒーロー「長嶋茂雄」さんの過去〜現在〜未来をご紹介していきました。