2024年の3月で84歳になったデヴィ夫人さん。
現在から長年に渡り、芸能界を中心に大活躍していますね。
そんな、デヴィ夫人さんの若い頃が「美人過ぎる!」とファンの間で話題になっていました。
今回は、デヴィ夫人さんの若いころについて徹底調査しましたのでご紹介します。
デヴィ夫人の生い立ちと若い頃
デヴィ夫人さんは1940年2月6日に東京都麻布で生まれ、彼女の家庭は大工を営んでおり、一般的な家庭環境で育ちました。
幼少期には、戦争の影響で福島県へ疎開する経験もあり、そこでの生活を通じて価値観を形成しました。
デヴィ夫人さんの若い頃からの生き方には、戦争と貧困を経験した時代背景が大きく影響しているといえるでしょう。
10代
デヴィ夫人さんの出身中学校は、地元東京都港区内の公立校の高陵(こうりょう)中学校です。
中学時代、デヴィ夫人さんは成績優秀で、特に英語が得意でした。
中学生の頃、デヴィ夫人さんは男性の先生たちにとても可愛がられていたそうですよ。
しかし、家計を助けるため、15歳で千代田生命保険(現在のジブラルタ保険)に就職し、高校は定時制部に通いながら働きました。
16歳のとき、父親が亡くなりました。
デヴィ夫人さんには足が悪い母親と弟がいて「一家の大黒柱になるのは自分しかいない」と決心し、高校を中退しました。
その後、赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」で働き、持ち前の美貌と英語力で人気ホステスとなりました。
デヴィ夫人さんの10代は、家族を支えるための努力と、多彩な才能を発揮した時期であり、その後の国際的な活躍の礎となりました。
20代
デヴィ夫人さんの20代は、国際的な舞台での活躍と、波乱に満ちた人生の転機が訪れた時期でした。
スカルノ大統領との出会いと結婚
19歳でインドネシアに渡ったデヴィ夫人さんは、スカルノ大統領と出会いました。
1962年、22歳のとき正式に結婚し、第3夫人となりました。
当時、スカルノ大統領は61歳、デヴィ夫人は22歳。
実に39歳の年齢差がありました。
この結婚により、彼女は国際的な注目を集め、「東洋の真珠」と称される存在となりました。
家族の悲劇
結婚と同時期に、40日間介護していた母親が亡くなりました。
さらに、その2日後に弟も自殺するという悲劇が続きました。
スカルノ大統領の失脚と亡命
1965年9月30日にインドネシアで軍事クーデターが発生し、スカルノ大統領は失脚しました。
代わってスハルトが大統領となりました。
デヴィ夫人さんは日本大使館に亡命を希望しましたが、国際的立場上の理由で断念せざるを得ませんでした。
デヴィ夫人さんは政治的に亡命者に寛容なフランスを亡命先に選びました。
娘の出産とフランスへの移住
1967年3月11日に都内の病院にて、第一子となる娘・カリナさんを出産しました。
その後、フランスに移住し、社交界で「東洋の真珠」と称される存在となりました。
彼女の20代は、国際的な舞台での活躍とともに、政治的な激動の中での試練と適応の連続でした。
30代
彼女の30代は、波乱に満ちた時期でした。
デヴィ夫人 芸能活動を開始
1970年、30歳のとき、夫であるインドネシアのスカルノ元大統領が亡くなりました。
なんと、スカルノ大統領との結婚生活はわずか8年間でした。
その後、デヴィ夫人さんは日本で芸能活動を開始し、タレントとしての道を歩み始めます。
1974年、34歳のときには、雑誌『GORO』の創刊記念号で、写真家デイヴィッド・ハミルトンの撮影によるヌード写真を披露し、大きな話題となりました。
デヴィ夫人 著書の出版
デヴィ夫人さんは、著書『パリからの手紙―世界に生きる女の華麗な視線』を出版し、フランスでの社交界生活や自身の経験を綴っています。
1978年、38歳のときには自伝『デヴィ・スカルノ自伝』を発表し、これまでの半生を振り返りました。
デヴィ夫人さんの30代は、夫の死去や日本での芸能活動の開始、著書の出版など、多岐にわたる活動と変化に富んだ時期でした。
40代
デヴィ夫人さんの40代は、年齢を重ねるごとに内面の美しさが外見に現れると考え、音楽や絵画、文学など美しいものに触れる生活を送っていたそうです。
美容と健康への意識
デヴィ夫人さんは年齢を重ねても美を追求し続けることで知られています。
デヴィ夫人さんが常に発しているメッセージのひとつは、年齢を気にせず、自分を大切にして自信を持って生きることです。
40代は、若さと経験が融合する素晴らしい時期。
年齢を重ねることで得られる深みと、自分にしかできないスタイルを見つけることが、人生をより豊かにします。
美しさは内面から
デヴィ夫人さんは、スキンケアやヘアケアに注力するだけでなく、心の美しさも大切にしています。
内面の健康が外見にも影響を与えるため、40代は自分自身と向き合う大切な時期です。
学びを続けることの重要性
デヴィ夫人さんは、常に好奇心旺盛で新しいことに挑戦していました。
40代も学び続けることが、心を若々しく保つ秘訣。
新しい趣味や知識を身につけることで、日々の生活に彩りと充実感が生まれると語っていました。
デヴィ夫人の40代は、彼女の人生観や美しさ、そして強さがより一層際立った時期でした。
50代
デヴィ夫人さんは、50代を迎えた1990年代においても多彩な活動をしていました。
傷害罪で逮捕
デヴィ夫人さんは1991年、51歳の時にアメリカ・ニューヨークへ移住しました。
1992年にフィリピンの元大統領の孫娘とのトラブルにより、傷害罪で逮捕され、34日間の収監を経験しています。
この出来事について、後に「刑務所での生活は学生寮のようで楽しかった」と述べられています。
日本のテレビ界での存在感
また、53歳の時にはヘアヌード写真集を発表し、話題を集めました。
さらに、1997年から2000年にかけては、バラエティ番組『快傑熟女!心配ご無用』に熟女女性パネラーとして出演し、日本のテレビ界でも存在感を示しました。
国際的な視点からのメッセージ
59歳となる1999年には、著書『愛をつなぐ』を出版し、国際的な視点から愛と平和についてのメッセージを発信しています。
このように、50代のデヴィ夫人は、国際的な活動やメディア出演を通じて、多方面で活躍されました。
現在
最近のデヴィ夫人さんは、変わらず活発にメディア活動を続けており、さまざまなテレビ番組やイベントに登場しています。
美容や健康管理
特に印象的なのは、彼女の「年齢を感じさせない」若々しさとエネルギッシュな姿です。
美容や健康管理にも余念がなく、普段からの徹底したケアがその美しさを支えているのでしょう。
また、デヴィ夫人さんはSNSを通じてファンとの交流も行っており、自らの視点で政治や社会問題に関する意見も発信しています。
デヴィ夫人さんは決して年齢にとらわれず、いつも自分らしく、正直であり続ける姿勢が非常に魅力的です。
社会貢献活動にも積極的
デヴィ夫人さんの慈善活動は、困難な状況にある人々を支援しようとする情熱に満ちており、多くの人々に感動を与えています。
デヴィ夫人の姿勢からは、常に感謝の気持ちと、より良い未来に向けて行動し続けることの大切さを感じ取ることができます。
デヴィ夫人さんの生き方は、私たちに「年齢や社会的な枠に縛られず、自分らしく生きること」の大切さを教えてくれます。
定時制高校に通いながらの仕事と生活
デヴィ夫人さんは15歳の頃、昼は定時制高校に通い、夜は保険会社で働くという忙しい日々を送っていました。
この頃、家計を支えるために赤坂の高級クラブでも働き始め、家庭の手助けをしながらも自身の将来を見据え、日々努力を重ねていました。
彼女の若い頃から持ち続けていた勤労意欲と責任感は、後のデヴィ夫人としての成功につながる基礎となったといえます。
このような背景が、美しい「東洋の真珠」としての輝かしい道へと彼女を導いていくのです。
美しさの秘訣とケア
デヴィ夫人さんの肌の美しさから「東洋の真珠」と呼ばれていました。
デヴィ夫人さんが「東洋の真珠」と称されることには、その肌の美しさが大きく関係しています。
また、その美しさは国際的にも評価されるようになりました。
彼女の若い頃からの美肌へのこだわりは、単に表面的なケアだけではなく、内面的な美しさも追求してきたことから生まれたものです。
デヴィ夫人さんは、常に自分を高める努力を惜しまないことがこの美しさを保つ秘訣であると考えています。
波乱万丈な人生と成功
デヴィ夫人さんの人生は、まさに波乱万丈と言えます。
若い頃、東京の赤坂の高級クラブで働いていたデヴィ夫人さんは、偶然の出会いからスカルノ大統領に見初められ、19歳という若さでインドネシアへ渡ります。
そこで、デヴィ夫人さんはスカルノ大統領の第3夫人という肩書を得て、一国の大統領夫人としての役割を果たすことになりました。
異国の地での華やかな生活は、彼女にとって大きな転機となりましたが、一方で異文化に適応し、政治的な立場も求められる厳しい日々でもありました。
社交界での評価と挑戦
1970年にスカルノ大統領が亡くなり、デヴィ夫人さんはフランスのパリへと亡命します。
パリでは、持ち前の美しさと知性を武器に、ヨーロッパの社交界においてもその存在感を示します。
特に「東洋の真珠」としての評価は社交界でも高く、多くのセレブリティと交流を持つようになりました。
しかし、その中で彼女は常に挑戦を続ける生き方を選びます。
華やかさの裏で、自らの立場やキャリアを確立するために絶え間ない努力を重ね、自分を高め続けるその姿勢は、多くの人々にとっての憧れと刺激となりました。
写真や映像で見る若き日のデヴィ夫人
インスタグラムやメディアでの公開
デヴィ夫人さんは数々のメディアを通じてその若い頃の美しさを公開し続けており、多くの人々に感激を与えています。
特にインスタグラムではデヴィ夫人さんの昔の写真が定期的に公開され、スカルノ大統領夫人時代のエレガントさや華やかさを知ることができます。
2024年9月には、自身の肌ケアについて反省のコメントとともに、若き日の写真を披露し、その美しさが再び話題となりました。
多くの反響と評価
デヴィ夫人さんの昔の写真や映像に対する反響は非常に大きく、ファンやフォロワーからは称賛の声が多く寄せられています。
「おいくつになられても東洋の真珠」「心もお肌も全てが美しい」といったコメントが見受けられ、その美しさは時代を経てもなお共感を呼んでいます。
彼女の美しさは単なる外見だけでなく、生き方や人間性にも裏打ちされているという評価が、彼女を長年にわたり魅力的な存在として位置づけています。
まとめ
今回は、デヴィ夫人さんの若いころついてご紹介しました。
若いころはもちろんですが、今も美人のデヴィ夫人さん。
スキンケアやヘアケアの表面的なケアだけではなく、健康管理や学ぶ重要性が美しさや若さの秘訣だということがわかりましたね。
今後もデヴィ夫人さんの活動に注目したいですね。